基礎情報
チェンナイはタミル・ナドゥ州の州都で、人口600万人を抱えるインド第5の都市。自動車産業やIT産業が盛んで、南インドにおける政治や経済の中心地。1996年、地名は正式にマドラスからチェンナイへと変更された。インドは19世紀初頭からイギリスの植民地だったが、1947年にイギリス連邦の自治領として独立を果たした。
インドの正式国名はインド共和国(Republic of India)。国旗には勇気と犠牲を表すサフラン色、純潔を表す白、信仰を表す緑、アショカ王朝時代のデザインを模したチャルカ(糸車)が描かれている。首都はニュー・デリー、人口約11億人(世界2位)。通貨単位はインド・ルピー(INR)。滞在にはビザの申請が必要で、パスポートの残存期間はビザ申請時6ヶ月以上。電圧は115/220/240V、周波数は50Hz。
出発
シンガポール航空
シンガポール航空の午後便にて成田を発ち、先ずはシンガポールへ。今回は社用だったので、ビジネス・クラス(ラッフルズ・クラス)を利用。座席スペースにはゆとりがあり、フルリクライニングでグッスリと眠れた。機内食はコースになっていて、メインディッシュは数種類の中から選べる。キャビン・アテンダントの制服は民族衣装風でとても素敵だ。およそ7時間のフライトでシンガポール・チャンギ国際空港に到着。
空港内の専用ラウンジを利用することができたので、そこで「チェンナイ行き」の搭乗を待つことにした。ラウンジは中で2つに別れている。1つは「ファースト・クラス」用、1つは「ビジネス・クラス」用だ。コーヒーやジュース、軽食などが全て無料で提供されていて、ちょっぴりエグゼクティブ気分が味わえる。待つこと約2時間、搭乗時間となり「チェンナイ行き」の便に乗り、アンナ国際空港には夜10時頃到着。
入国審査を終えて空港の外に出てみると、あまりの暗さと、その暗がりにたむろする人間の多さに驚いた。到着早々かなりビビリながら、ホテルからの迎えを必死に探す。すぐにオレ達一行の名前が書かれたフリップを発見、ホッと胸を撫で下した。
迎えのホテルスタッフに従い駐車場に向かって荷物を引いて歩いていると、突然子供がオレの手からトランクをもぎ取り、呆気に取られているオレを尻目にホテルスタッフと並んで歩き出した。そして車まで荷物を運ぶと手をつき出してお金を要求。到着早々かんべんしてくれよ、まだ両替もしてないから悪いけどお金はねーの。
そんなこんなで無事(??)荷物を車に積み込み、さっさと空港を後にした。オレンジ色の薄暗い街燈が照らす道路を、なぜか恐ろしいスピードで車をとばす運転手、約20分で市内のホテルに到着した。
宿泊
タージ・コネマラ
滞在したのは、市内で一番歴史のあるコロニアル風の高級ホテル、タージ・コネマラ。プール、レストラン、バー、ビジネスセンター(会議室)など完備している。プールは残念ながら改装中で使えなかった。建物が古いせいか、エレベーターはよく途中の階で止まる。インドの建物は1階がゼロ階(英国式)なので、エレベーターのボタンをよく押し間違えた。
サービスは申し分なく、ホテルスタッフは会うたびに 「グッモーニン・サー」 とか 「ハウアーユー・サー」 などと笑顔で挨拶してくれる。「サー」なんて呼ばれたことないので、かなり照れくさい。(そもそも サーのはずがない) 日本人スタッフはいないようだったが、オレのヘナチョコ英語もどうにか理解してくれた。
広くて快適な部屋にはキングサイズのベッドが2つ、テレビ、エアコン、ミニバー、冷蔵庫、バスタブ、ドライヤー有り、アメニティー類は完璧だ。総天然石張りのバスルームはとても豪華だが、朝は水が少し濁っていたので念のため飲み水はもちろん、歯を磨くのにもミネラル・ウォーターを使った。
テレビのスポーツ番組は主にクリケットの試合を放送していて、観ているうちにルールを覚え、だんだん面白くなってきた。特にインド対パキスタン戦はとても盛り上がる。インド・チームのキャプテンは国民的ヒーローで、エイズ撲滅キャンペーンのCMにも出演していた。
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| タージ・コネマラ | バスルーム |
食事
ヴェランダ
コネマラの1階にあるレストランで、滞在中は大抵ここで食事をした。メニューはもちろん南インドのカレーがメインだが、パスタやペンネなどのイタリアンもある。カレーの種類は、チキン、マトン、車海老、野菜、豆、チーズなど豊富にあり長期滞在でも飽きさせない。辛さに慣れた頃に、本当の美味さが実感できる。でも慣れるまではつらい。
お酒はおもに、「キング・フィッシャー」「ゴールデン・イーグル」など、インドの地ビールを飲んでいた。デザートのケーキや砂糖菓子は、カレーとは対照的にとても甘い。特にグラブジャームンというシロップ漬けの熱い団子はすごく甘かった。有名な「ラッシー」「チャーイ」も甘くて美味しい。
レインツリー
コネマラの敷地内にあるガーデン・レストランで、滞在中に何回か行った。ビュッフェ・スタイルで、銅製のお盆にバナナの葉が敷いてあり、カレーとご飯、チャパティなどを乗せて食べる。南インドではこれをミールスと呼ぶ。カレーはベジタリアン用とノン・ベジタリアン用に分かれていた。種類は豊富で、1つ1つの鍋に「スパイシー」「ミドル・スパイシー」などと書いてあったが、結局は全部辛い。フロアの前方にステージがあり、インドの古典舞踊を見ながら食事がでる。
仕事
シャクティー・タワー
職場はシャクティー・タワーという10階建てのビル内にあり、ホテルから歩いて約10分、途中にはいろいろな屋台や露店があり、路上で寝てる人や物乞いなどもいる。そばにクーム川が流れていて強烈な臭いがするが、だんだんと慣れてしまう。ビルにはエレベーターが2機あったが、1機は大抵故障中か整備中で稼動していなかった。エレベーター内には、エレベーター・ボーイ(私服にサンダル)が乗っていた。
職場のインド人はオレ達にとても親切で、日本に興味を持っている人も何人かいた。日本人が珍しいようで、みんなにジーッと見られた。幾つかのタミル語を教わり、お返しに幾つかの日本語を教えて、ささやかな異文化交流もした。職場の服装に関しては、男性はシャツにノーネクタイで、女性はサリーやサルワー・カミーズなどの民族衣装を着ていた。
仕事中に音楽を聴くのも自由で、パソコンからはインドのポップスが流れていた。オレも日本から持っていったCDをノートパソコンで聴きながら仕事をしていた。日本の職場でも、これが出来たらいいのに。ちょっとインドが羨ましかった。ヒンドゥー教の神様を、パソコン画面の壁紙にしている人もいた。これが意外とク−ル、日本に帰ったら真似しようと思った。
停電や瞬電は毎日のようにあったが、みんな慣れている様子で何事もなかったように仕事を続けていた。UPSが設置されている部屋の中には、「YUASA」のバッテリーがビッシリと積み上げられていた。2時間以上も停電していた時があり、蒸し暑いは薄暗いはでさすがに参ったよ。日本では停電するなんてほとんど記憶にないぐらいだけど、電力が安定供給されるというのはありがたいことなのだ。
勤務時間の定時は午前9時から午後5時まで、土曜日は半日出勤、日曜祝祭日は休み。ランチタイムは午後1時から2時まで。インドでは夕食を晩くに取るので、ランチタイムを少しずらしているらしい。その日が誕生日の人がいると、フロア全員でちょっとした「お祝い」みたいなのをやっていた。
アンナ・サライ
チェンナイのメイン・ストリート「アンナ・サライ」の交通量はかなり多い。乗用車や市バスの他、オートバイやオートリクシャーがたくさん走っている。市バスは見た限り、いつも超満員だった。車は常にクラクションをけたたましく鳴らして走るので、誰かと話しながら歩くのも困難な時があった。
道路が何車線なのかハッキリとは分からない。ちょとでも隙間があると、どんどん間に割り込んでくる。そのせいか車同士の間隔は非常に狭い。信号機もあるにはあるが、排気ガスで汚れていてとても見にくい。故障もするようで、その都度 警官が交通整理に当たっていた。朝のラッシュ時に牛や馬が道路を普通に歩いているのを目撃した時は、本当に驚いた。(車は上手に避けて走っていた)
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| アンナ・サライ | アンナ・サライ |
観光
週末はアクティブに観光に出かけた。観光したスポットは、【マハーバリプラム】と【チェンナイ市内】の2つのエリア。マハーバリプラムは、インド在住10年以上の日本人の方に案内して頂いた。チェンナイ市内は、ガイドブックを片手にオートリクシャーで廻った。リクシャーの運賃は交渉制、1日チャーターで400ルピー前後だった。(絶対ボラれてる)
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〜 マハーバリプラム 編 〜
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マハーバリプラムは、チェンナイからベンガル湾に沿って南に約60キロ下った所にある小さな町。7世紀にパッラヴァ王国の港町として開かれ、東はインド洋を越え、西はアラビア海を渡ってくる東西貿易の拠点として栄えた。街中には中世の石彫寺院が残り、その技術は現在も多くの石工により受け継がれている。町の正式名称は【マーマッラプラム】に変わったが、マハーバリプラムの方が通りがよい。ちなみにマハーバリプラムの建造物群は、1985年に「ユネスコ世界遺産」に指定された。
海岸寺院
7世紀後半〜8世紀初頭にかけて建造された、南インド最古の石造寺院。かつては同じような寺院が7つもあったが、残っているのはここだけ。寺院自体はシヴァに献じられたもので、聖堂にはシヴァのリンガ(男根)が祭られ、前殿にはヴィシュヌが祭られている。シヴァのリンガはとても立派だ。長年風雨に曝されてきたこの寺院も、現在は「ユネスコ世界遺産」に登録され防風林が植えられた。
パーンチャ・ラタ
1つの巨大な花崗岩の塊を削って造られた5つの寺院で、それぞれにマハーバーラタの5人の登場人物の名前が付いている。7世紀半ばに造られ、その後のドラヴィダ建築様式の基になった。なんとなく築地本願寺を想わせるデザインの寺もある。寺院の他に象、ライオン、牛などの巨大な彫刻もあった。
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| 海岸寺院 | パーンチャ・ラタ |
クリシュナ・マンダパム
マンダパムとは寺院聖堂前の広間や礼拝堂のことで、花崗岩の岩山に列柱や彫刻が彫ってある。壁面にはゴーヴァルダン山を持ち上げるクリシュナの見事な磨崖彫刻が彫られていた。クリシュナには幼くて可愛いイメージがあるが、ここのクリシュナはとても勇ましいぞ。
アルジュナの苦行
幅30メートル、高さ13メートルの岩の表面に刻まれた、世界最大級の浮き彫り。大昔、雨が長く降らない時季があり、アルジュナが両手と片足を上げ苦行を続けたところ、当時まだ天界にあったガンガー(ガンジス川)が地上に降りて来て大地を潤した、という神話の物語が彫られている。彫刻全体の大きさに対して、アルジュナの彫刻は非常に小さい。物語の中心人物なのに少し不憫だ。
クリシュナのバターボール
直径約30メートルの巨大な岩が、今にも転がりそうに岩山の斜面に止まっている。形がバターボールに似ていて、それがクリシュナの好物であったことからこの名が付いた。千年以上も同じ場所に止まっていて、パッラヴァ朝の時に象に引かせて動かそうとしたが、全く動かなかったらしい。こんなもの動かして一体何をしようとしたのか? もし転がったら下にいる人 確実に死ぬよ。
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| アルジュナの苦行 | タラシャヤナ・ペルマル寺院 |
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直径約30メートルの巨大な岩が、今にも転がりそうに岩山の斜面に止まっている。形がバターボールに似ていて、それがクリシュナの好物であったことからこの名が付いた。 |
| クリシュナのバターボール | |
カパーレシュワラ寺院
高さ40メートルのゴープラム(塔門)を持つドラヴィダ様式のヒンドゥー寺院。13世紀に建立され、16世紀のヴィジャヤナガル王朝により再建された。境内に入るには靴を脱がなくてはならない。靴は寺院脇の靴預り屋に預けた。境内はそれほど広くない。ヒンドゥー教徒以外は本殿内に入れない。仮に入れたとしても、異教徒が観光で立ち入れる雰囲気ではなかった。
サン・トメ聖堂
マリーナ・ビーチの南端にあるこの大聖堂は、西暦52年にチェンナイに来たと信じられているキリスト12使徒の1人、セント・トマスからその名を得た。彼は78年に殺され、抑留されていたサントメ・ビーチに教会が建てられた。数年後には、さらに内陸に新しい教会が建てらて、彼の遺骸はそこに移された。1606年に教会は大聖堂として再建され、美しいステンド・グラスにはセント・トマスの物語が描かれた。祭壇にはキリストの巨大な木像(電飾付き)があり、眺めていたら電飾を点けてくれた。
セント・ジョージ要塞
イギリスの東インド会社により、フランシス・デイとアンドリュー・コーゴンの直接監督のもと、1640年に建てられた植民地支配のための要塞。その名前はイギリスの聖人セント・ジョージに由来する。要塞内の主な建物は、現在インド政府や軍が使用している。要塞博物館には、東インド会社に関する写真、コイン、書簡、武器などが展示されていた。コインに刻まれた肖像はヴィクトリア女王、世界史の授業を思い出す。
セント・メアリーズ教会
セント・ジョージ要塞の中にある、アジア最古の英国国教会。屋根は防弾、壁の厚さは1.5メートルもある。強固な造りだったので、18世紀にフランス軍が侵入した時はイギリス軍の基地として使用されたそうだ。
高等裁判所
19世紀インド・サラセン様式の建物で、街のランドマーク的存在。日曜日に行ったら中に入れなかったので、外側から見学した。林立する塔にはムガル風のドーム屋根が付いていて、上を見ながら歩いていたら、ウ○コを踏んでしまった。インドの街を歩く時は下にも気を付けよう。
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| カパーレシュワラ寺院 | サン・トメ聖堂 |
マリーナ・ビーチ
ベンガル湾に面して延々12キロもつづく世界で2番目に大きいビーチ。夕暮れには、その日の仕事を終えた人々が沐浴にやって来る。広い砂浜には屋台や露店がズラリと建ち並び、ジュースやお菓子類、オモチャ、アクセサリーなどが売られていた。チェンナイ市民に人気がある憩いのスポットだ。ビーチの北端はアンナ公園、海に向かって元州首相のアンナドゥライ記念廟がある。
アクアリウム
ビーチに面して通るサウス・ビーチ・ロード沿いには、マドラス大学、チューパウク宮殿、プレジデンシー大学など幾つかの美しい建物が建ち並ぶ。アンナ・スクエアからビーチ・ロードを少し南下すると、小さな水族館があったので入ってみた。魚の種類は少なく、これといって見るものはないが、Shubunkin(朱文金?)という日本産らしき金魚がいた。まさか水族館で金魚を見るとは...
タミル・ナドゥ州立博物館
仏教遺跡「アマーラヴァティ」からの出土品を目玉に、千年以上も前の石像や石版など、南インドの文化的な遺物がたくさん展示されている。個人的には、高さ2メートルほどもあるガネーシャの石像に感銘を受けた。遺跡からの出土品には、ヒンドゥー教の神々を彫った歴史のある彫刻もたくさんある。ブロンズ像の数も多くて、チョーラ朝期の「踊るシヴァ神像」(ナタラージャ)は、あのロダンも絶賛したらしい。
MGRフィルム・シティ
チェンナイでは年間250本もの映画が制作されている。幾つかある映画スタジオの中で、一般公開されている映画村はここMGRだけ。オレ達が行った時もちょうど撮影をやっていた。園内は広い公園のようで、しばらく歩いているとちょっと変な感じの小さい「五重の塔」を発見。このエリアはどうやら日本庭園のつもりらしいが、あきらかに中国と混ざってる。その他には過去の撮影に使用されたであろう、わけのわからん変な建物とかセットがあるだけで、インド映画マニア以外は来てもつまらないかも。
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| マリーナ・ビーチ | マリーナ・ビーチ |
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立派な赤レンガ造りが歴史の古さを物語るマドラス大学。ビーチロード沿いにはこの他にも古い建物が幾つかあった。 |
| マドラス大学 | |
ショッピング
スペンサー・プラザ
アンナ・サライ沿いにある、大きなショッピング・コンプレックス。日用雑貨店、本屋、CD、電気屋、宝石、アクセサリー類の店、衣料品店、土産物屋、両替店、スーパーマーケットなど、あらゆる店舗が入っている。滞在中は幾度となくここに立ち寄った。日本への土産には、サリー、インド綿のショルダーバッグ、木箱入り紅茶、ガネーシャのブロンズ像、指輪やイヤリングなどのアクセサリー類、木彫りの象やラクダ、その他インドにしかなさそうな小物類を多数買った。
何度か足を運ぶ内にある土産物屋の親爺と親しくなり、店を訪ねるとチャーイなどをご馳走してくれて雑談などを交わした。この店の親爺は商売意欲も旺盛だが、なんとなく憎めない感じだった。店員の中には初めて会ったのに「ハロー マイフレンド」などと親しげに声を掛けてきて、無理矢理店に入れようとする輩もいるので気を付けよう。
ジョージ・タウン
イギリス統治時代に、インド人商人がマドラス港に出入りする商船相手に造った町。当時イギリス国王だったジョージ5世が訪問したことから、この名前がつけられた。家電製品、衣料品、金物類、花など、扱う商品ごとにバザールが並んでいる。外国人観光客は殆ど見なかった。
路地裏にあった露店のブロマイド屋で、インド映画スターのブロマイドを10枚ほど買った。近所の子供達にも選んでもらい、映画 『ムトゥ 踊るマハラジャ』でお馴染みの、ラジニ・カーントやミーナのブロマイドも買った。
路地裏にあった露店のブロマイド屋で、インド映画スターのブロマイドを10枚ほど買った。近所の子供達にも選んでもらい、「ムトゥ〜踊るマハラジャ」でお馴染みの、ラジニ・カーントやミーナのブロマイドも買った。
テアガラヤ・ナガル
リクシャーワーラー(運転手)が勧めるので、この街に行ってみた。長さ1キロほどのバザールをブラブラ歩いていると、物乞いの子供が腕にぶら下がってきて、なかなか放してくれなかった。更にターバンを巻いてヘビを持ったおっさんに追いかけられ、猛ダッシュで逃げた。多分おっさんは大道芸人で、「スネーク・ショーを見ないか?」と言ってたんだと思う。もしヘビ嫌いの人だったら、間違いなく気絶だよ。
バザールに並んでいた品物は、衣料品、日用雑貨、おもちゃなどが多かった。ブランド物のコピー商品も多数あった。カルバン・クラインのポシェットや、「NIKE」と「REEBOK」2社のタグが付いているバッグなど、日本ではなかなか見られない希少(?)な一品がたくさんある。カシオG-SHOCKのコピーに至っては、S-SHOCK、P-SHOCK、C-SHOCKなど種類も豊富。どれを買うかあれこれ迷ったが、結局クリアイエローのS-SHOCKにした。
帰途
ホテルのドアマン、フロント係、フロアマネージャー、ハウスキーパー、レストランのマネージャーやウェイターなど、4週間の滞在中に親しくなったスタッフ達と別れの言葉を交わした後、タクシーにてアンナ国際空港へと向かった。
空港に到着すると、入り口は長蛇の列。機内持込手荷物検査の時、係官(拳銃所持)に「荷物の中の電池を全部出して」と言われた。更に「電池は後で返すから、フライトNo.とシートNo.を書いて」と言われ、訳もわからず素直に従った。おそらくテロ対策のためだと思う。
出発ロビーで待つこと約1時間、シンガポール航空の夜便にてチェンナイを発ち、先ずはシンガポール国際空港へ。約束どおり、電池は機内で返してくれた。空港内のラウンジで暫し休息した後、「成田行き」の便に乗り換え、成田空港には早朝5時頃帰着。
後記
インドには様々な階級の人々がいる。ヒンドゥー社会では現実にカースト制度を受け入れ、階級内の分を守ることで生活を保障されたり、互いに助け合う共同体的機能も持っている。しかしながら、それによって理不尽な差別を被り、苦しむ人々がたくさんいるのも事実だ。何れにしろ、外国人が自らの基準で混ぜっ返す事ではないのかもしれない。
インドは、飛鳥時代に日本に伝来した仏教発祥の地であり、日本人が大好きなカレーの本場でもある。にもかかわらずインドの文化は、日本のそれとはかけ離れており、見るもの聞くものが一々珍しかった。機会があれば再び訪れて、今度は映画も鑑賞してみたい。
o(*^▽^*)o みなさん、お世話になりました!















