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モルディブの歴史

モルディブ
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ビヤドゥ島 旅行記
参考・出典
モルディブ 地球の歩き方
楽園モルディブ2001

先史時代

 モルディブ人の祖先は、南インドからスリランカへの航海の途中に立ち寄った、初期ドラヴィダ人の漁師や船乗りだったとされている。また言語的、文化的な面から見て、紀元前にスリランカから移住してきたアーリア系人種だったとする説もある。いずれにしもモルディブの初期の歴史に関する資料は少なく、はっきりしたことは分っていないが、紀元前2000年頃から幾つかの海洋国の貿易の交差点だった、との学説も多い。

仏教とイスラム教の伝来

 記録によると12世紀以前のモルディブは仏教国だった。最南端にある4つの環礁では特に信仰が深く、20世紀の初頭には、仏舎利塔、寺院跡などが発掘されている。発掘された遺跡の彫刻や寺院建築の構造は、スリランカの古代寺院で見られるものと類似していた。
 現在のモルディブではイスラム教が信仰されている。モルディブ人がイスラム教に改宗したのは、モロッコからやって来たアブル・バラカート・ユースフ・バルベリの布教からとされている。モルディブ人が改宗した経緯は、今も下記のような伝説として残されている。
 その昔、モルディブのとある島に「ジニ」と呼ばれる魔物が住んでいた。この魔物は夜な夜なモルディブ中の島々を暴れ廻り、いつも島民を苦しめていた。困り果てた島民は、女性を1人づつ生贄として魔物に差し出し怒りを鎮めていた。そんなある日、バルベリという男がモルディブにやって来て、イスラム教への改宗を条件に魔物退治を引き受けると言い出し、藁にもすがりたい島民はそれを承諾した。そしてバルベリは一晩中イスラム教の聖典コーランを唱え続け、遂には魔物を追い払った。それ以来モルディブではイスラム教を唯一の国教と定めた。

ポルトガル統治時代

 15〜17世紀の大航海時代、東西海上交通の要所に位置するモルディブには、多くの旅行者が訪れた。漁業を中心に平和に暮らしていたモルディブも、アジアの富を狙うヨーロッパ列強の覇権争いに巻き込まれていくことになる。
 16世紀に入り、アンドレアス・アンドレ率いるポルトガル艦隊がマーレに上陸。モルディブ軍と戦闘になるが、圧倒的な武力の差によりモルディブ軍は全滅、モルディブ王のサルタン・アリ6世も戦死してしまった。以降アンドレアス・アンドレが権力の座に就き、植民地支配に着手する。
 しかし、愛国心の強いモルディブ人たちは、キリスト教への改宗を拒み、ポルトガル支配に反発して戦いを始める。17年後、モハメッド、アリ、ハッサンという3人の若者を中心とした解放軍が、機を見てアンドレアス・アンドレを襲い射殺した。これによりモルディブは再びつかの間の自由を取り戻した。

イギリス統治時代

 苦労して自由を勝ち取ったモルディブだが、その後もヨーロパ列強の圧力に悩まされ続ける。苦しい決断を迫られたモルディブは1887年、イギリス政府に税を納める一方、外敵から国を守ってもらう、という協定を結びイギリスの保護領となる道を選択した。イギリス政府はモルディブに行政官を派遣せず、島民のスルタン(首長)が統治をする、間接的支配を行った。

独立 モルディブ共和国

 第2次世界大戦終結後、列強国に殖民地化されていたアジアの国々は次々に独立を果たし、モルディブでも独立を求める声が高まった。イギリス政府との独立交渉は実に7年にもおよび、1965年に独立協定に調印、同じ年には国際連合への加盟が認められ、念願の完全独立を果たす。1996年には新憲法が発布され、スルタン制度を廃止して共和国となった。