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バリ島の歴史

インドネシア
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先史時代

 ジャワ島で約80万年前と推測されるジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトゥス)の化石が発見されたことはよく知られている。バリ島ではまだ発見されていないが、バリ島がジャワ島のすぐ隣に位置していることから、バリ島にも古くから人類が住んでいた可能性が高いと考えられている。一般的には、紀元前3000〜300年にかけてモンゴロイド系民族が南下し始め、スマトラ島、ジャワ島、バリ島へ移住したとされている。
 紀元前1000年紀に入ると北ベトナムのドンソンを中心に青銅器、鉄器文化が栄え、東南アジア一円に広がった。ドンソン文化は金属器とともに稲作技術をもたらし、バリ島で稲作が始まったのもこの頃からとされている。

ヒンドゥー教と仏教の伝来

 3〜4世紀、東南アジアからインドネシア一帯にインドのヒンドゥー文化の影響が広がり始め、各地に王族の業績を記した石碑が建てられるようになった。最も古い記録からは、ジャワ島の王国が南インド諸国との貿易で栄えていた様子がうかがえる。
 5世紀後半には仏教も伝えられたと考えられていて、6世紀に入るとスマトラ島に興ったシュリーヴィジャヤ王朝が西インドネシアの海洋貿易を独占、インド仏教を基盤とする都市国家を築いた。8〜9世紀、ジャワ島にシャイレーンドラ王国が勃興した。この時にインドやセイロンから渡ってきた移民集団が米の増産に取り組み、バリ島は稲作地として注目された。
 10世紀半ば以降、シュリーヴィジャヤ系のワルマデワ王朝が覇権を握り、東ジャワの王朝と姻戚関係を結んだ。11世紀以降、東ジャワではヒンドゥー教の王国が興亡を繰り返した。1284年、東ジャワのシンゴサリ朝は突然バリを攻撃して島を支配下に治める。その僅か8年後、王朝は内乱で滅び、代わってマジャパイト王国が誕生した。マジャパイト王朝はその後100年にわたってインドネシアを支配し続ける。

イスラム教の台頭

 15世紀に入ると、スマトラ島でイスラム教の勢力が次第に拡大する。その尖兵は香辛料の商人たちで、彼らはマレー半島やジャワ島の港町で財を築いた。それらの港町の中から海洋国家が誕生し、やがてヒンドゥー社会を侵食し始める。1525年頃、ジャワ島のマジャパイト王朝は遂に崩壊、脱出した一部の王族や貴族たちはバリ島のゲルゲル近くに亡命政権を樹立した。これに伴い芸能や文学がバリ島に移され、古典文化の黄金時代を迎えた。バリ島がインドネシアで唯一、ヒンドゥー文化を伝える島となったのは、こうした経緯からである。
 ゲルゲル王朝はその後分裂し、バリ島に幾つもの王国が割拠する時代が到来、バリの文化はマジャパイト王朝から受け継いだ宮廷文化の影響を強く受けた。現在も残る巨大寺院の多くは、この時代に完成されたと伝えられている。

オランダ統治時代

 15世紀頃、香辛料を巡る争いが世界規模に発展し、モルッカ諸島(香料諸島)に目を付けたヨーロッパ列強は、インドネシア海域に相次いで進出、最初にバリ島を発見したのはポルトガル船だった。次いで1597年、オランダの艦隊がバリ島を発見した時は、絢爛豪華な王朝文化が真っ盛りの頃。オランダの狙いは東インド会社を介してインドネシアを植民地化し、香辛料貿易を独占することにあった。
 1849年、オランダはバリ島の北部と西部を征服、後に南部へと侵攻し、1908年、バリ島の支配者であったスマラプラ王朝を滅ぼし、島全域を支配下に治めた。オランダはバリの旧王族や貴族に実質的統治を任せる間接統治を行った。これにより王国が覇権を争っていた時代よりも、情勢はむしろ安定したと言われている。
 またオランダは、当時バリに存在した奴隷制度を廃止させる一方、バリの文化を奨励しながら利権を得る、という形を選んだ。この時代、バリ島には多くの欧米人が訪れ、そのまま定住する人もいた。1920〜30年頃に興ったバリ芸術の発展は、こうした人々が伝えた技法や感性に影響を受けたもの。

独立 インドネシア共和国

 20世紀に入ると次第に反植民地運動が高まり、インドネシア各地で民族運動が勃発した。オランダの支配体制は、こうした運動を鎮圧するために次第に疲弊していった。1941年、太平洋戦争が勃発すると、南下して来た日本軍がインドネシアのオランダ軍を数日で駆逐し、翌年バリは陥落した。
 1945年、戦争終結と共にスカルノ率いるインドネシア共和国政府は独立を宣言し、1950年、統一インドネシア共和国が正式に成立、バリ島も共和国を構成する1つの州となった。1965年、クーデターにより共産勢力が急速に衰え、政権はスカルノからスハルトへと移行し、資本主義国と関係を深めていく。
 1998年、深刻な経済危機によりスハルト大統領は辞任に追い込まれ、代わってハビビ政権が誕生する。翌年、国民協議会によりワヒド大統領が就任したが、国内事情は予断を許さない状況にある。